目には見えないが そこにある世界 五次元への扉

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人は心が原動力。心が動くからこそ行動できる。

日本でいう「スピリチュアル」とは、
大まかに言うと
「神聖でつかみどころのない神秘的なもの」を
指す場合が多いですが、
「スピリット」となると「サムライスピリット」
「ジャパニーズスピリット」になると
「日本人の魂」
本来の意味を取り戻すように思える
昔から日本人は目に見えないものを敬い大切にし
神社で誰かの幸せを願い
自然の中に神を視、八百万神を大切にしてきた民族
なんだと思う。

眼に見えないがそこにある世界があるって
心のどこで誰しもが感じているだ

女性のほうがスピリチュアルと言う言葉を
すんなりと受け入れるのは
直感が優れているというのか
感情的な生き物なのだからかもしれない。

ただし、男性でも「霊感」や「神様の存在」「人生の歩み方」に覚醒したという人もいるので、最近では都市伝説をきっかけに興味を持つ人も多いと思うのですが。

眼に見えなくてもそこにある世界

私たち兄弟の弟くんは、両親が離婚していなければ
将来、神主になっていたかもってことだからなのか
弟くんは、霊感が強い。

以前弟くんの住んでいた家は霊の通り道(霊道)らしく
弟くんの体調の悪い日、誰かとケンカした日、
マイナス思考になってる日に
幽霊さんがやってくる。

その日も、朝早い出勤日の夜中12時も回った頃
寒くて目が覚ましかけていたら
自分の吐く息が真っ白に
身体が動かすことができない(金縛り)

「もうー!やめて、明日早いねーん」
と心の中で思っていると
弟くんの寝ているベッドの横で
お婆さんが正座していたらしい

で、弟くんは、

「そんなとこですわってやんと
         溜まった洗濯してくれや‼️」

大声で叫んだら、お婆さん消えてしまったらしい。
後日、弟くんからその話を聞いて
弟くんは笑いながら
「洗濯はいややねんで。次は掃除頼んだろ。」
のちにその家は引っ越ししたんだけど。
結局のところ、前は生きていた私たちと同じ存在
突然だったり、未練あったり、道に迷ったりしてる魂
だから生きている人と同じように
叱るもしくは弟くんみたいに怒ればいいんだと思う。

ネガティブ、マイナス思考の時にチャンネルが
合ってしまうとその時に見えてしまう。
不安、心配、恐怖が四次元(霊や低級な存在)
の存在には欲しくて欲しくてたまらないのでは
ないのだろうかと思ってしまう。
不安も煽り心配、恐怖が必要にしている存在が
いるんだろう。

浮遊霊、背後霊がいるということは
「霊」はいる「魂」があると言うことになる。
肉体を離れ、天国にも行けず、地獄にも行けず
さ迷って生まれ変わることも出来ない浮遊霊。

20世紀になって唯物論的思想になり、
科学が発達することで、眼には見えない世界が
信じられない世界に変わってきてしまい
霊魂を信じる人が少なくなった。
科学的に証明出来ないければ、無いと同じ。
しかし、近年
退行催眠術や前世の記憶を持つ子供が
いたりすることで、眼に見えない世界が証明
されつつある。

科学的証明されなくても、愛はそこにある。
愛があるってことは、そこに神がいる。


だからこそ、氣を取り戻そう。

愛もまた眼には見えない。
でも、そこには確実ある。
子供を想う親子の愛。
兄弟を想う愛。
誰かを愛することも。
ペットが健気に向けてくれる愛。
誰かを元氣づけたいと想うのも愛。
自然を守ろうとするのも愛。
誰かを応援するのも愛。

心で感じてから心が動くそれが行動となる。

愛は、四次元には無い世界
三次元に生きる人類は
四次元に包まれている

眼を向け、心の眼で見なければ
愛の世界はみえない。四次元のベールを
剥ぎ取らなけば見えない
愛の世界は五次元の世界なんだと思う。

スピリチュアルって精神的成長するための
1つの考え方なんだと思う。
哲学や思想、眼には見えないがそこにある世界。
心の成長、魂も成長こそが大切。

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サーフィン道 なぜ道がつくのか? ホライゾンブルーの水平線を抜けて先へ

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自然のリズムには逆らわない 逆らえない

晴れてとっても気持ちいい日もあれば

波があって晴れてて最高な日もあり

曇りで波がぐちゃぐちゃの日

雨で波はあるけどデカっ過ぎの日

台風のうねりが届きだす日

同じ波も二度とない 同じ日もまたない

自然がもたらす恵みが在るだけ

そんなサーフィンの日常には雨もある

空と海が混じり合い

ブルーグレー(秘色) シルバー(銀鼠色)が 
交差しながら広がっている

その海に溶け込んでいく

とっても見にくい

アウトにある波小さなウネリを探していると

集中していくあまり

頭の中が真っ白になっていく

自分がどんどん同化していくように思える時がある

私の体をどんどん小さく小さく粒子の状態まで

ズームアップしていく

輪郭を持っいるとされるすべての素粒子

そのミクロの素粒子

雨粒1つ

何ら変わらない自分がそこに存在する

そして その雨粒1つの先へ

空気へ 雲を抜け 天高く大空へ

ホライゾンブルーの地球の輪郭からも

抜けていく  宇宙へ

そこには ただただ壮大な大きな1つのエネルギー体
 
が広がっている

今もなお膨張し 変化成長している

私の肉体にも また小宇宙が広がっている

素粒子の私が、壮大な宇宙に繋がっていたことを

思い出す瞬間


海の中 波待ち中 

瞑想している状態になっているんだろう


波乗り道と 道をつける人もいる

鍛練の道である 
(空手道もしていたのでよくわかるんだけど)


肉体の鍛練は勿論なんだけど

サーフィン通じ さまざまなことを思考する

宇宙真理を知りたいと思う

科学 数学 数字 哲学 天文学 音

言葉 古代文明 宗教 スピリチュアルなどに

たどり着くのではないだろうか

つまり現実世界と精神世界も

1つ

その1つ1つがバラバラに見えることが

すべて繋がっている

分離しているように思考しているが

いつも眼には見えないが

眼に映し出す機能がまだないだけで見えないだけ

それはすべての出来事もすべてのものも

繋がっているんじゃないだろうか

自然にいる時 海にいる時 癒されていた

海にいる時の人の変化としては 
身体(脳)では瞑想状態に、
幸せホルモンの出やすい状態に
なっていることが研究されています


サーフィンは 精神の不安を解消し
自信や自尊心をつけ 
生活の質を向上させるセラピー効果
があるというイギリスをはじめとした
海外での実験結果が注目されるようになったのです


サーフセラピー サーフィンセラピー

サーフィンは人生を変える

大袈裟ではなく本当の事のように思う

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生きた色彩 ゴーギャン

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ウジェーヌ,アンリ,ポールゴーキャン
後期印象派画家」

タヒチの女」有名な絵画をテレビ番組ではじめて見た時
 ゴーギャンと言う名前を知った

目に写った彼の絵は
エネルギーに満ちていて
美しい自然の中で日焼けした女性が
生き生きとし、生命力を感じる絵だった

友人だった有名なゴッホの番組の中で紹介されていたが
ゴーギャンにものすごく心ひかれた

その後になりゴーギャンの遺作となった絵を
目にすることになる

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ポール・ゴーギャンの『D'où venons-nous ? Que sommes-nous ? Où allons-nous ?』という作品。

和訳は「我々はどこから来たのか  
      我々は何者か
          我々はどこへ行くのか」

そこに、描かれた絵画には文章がある
絵画作品に文章を書き込むということはほぼないのに
余程の思いがあったのではと思う

生と死、光と闇 作品から溢れてくる
何も聞きたくないと耳を塞ぎ体を丸めて小さくなった人
妥協するようなやるせなさが見えてくる
そこには、光がない
影の部分が描かれいる
白い像 誰も祈りを捧げず 像の隣で遠くを眺め
何を待っているような人
赤ん坊が横たわり
悲しげな人が何かを訴えるように見ている
中央の人は果実をもぎ取ろうとしているのか?

良く見てみると闇の世界が広がっていて
両端だけが光に照されている
この世だけが闇なのかと思いたくなる
外の世界は光の世界なんだと

中央の人がもぎ取ったのは

知恵の実 だったんじゃないだろうか

イブなのか、アダムなのか



「我々はどこから来たのか
      我々は何者か
         我々はどこへ行くのか」

この問い

調べてみると
「眼に見えない内面や神秘の
   世界理念や思想表現を志向する」
と書かれていた。

今さらながら 府に落ちた

点と点が繋がっていく
あの時感じた ゴーギャンの生きる喜びを
そして心のどこかで憶える人生への問い

愛した人を失ってゴーギャンは最後に描いた絵に
すべてを注ぎ込んだように思えてならない

若い頃に感じたゴーギャンへの思いが
今になって繋がっていく

素晴らしい作品に心が動くこと、感じることの大切さを
改めて感じる瞬間でした。

宗教や精神世界そして宇宙 神
その答えを捜している1つの魂
その真理への探求がサーフィンと共に
始まっていったように思う

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心動かす 心が羅針盤 魂は道を知っている

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本の世界で答えを求めて。

答えは「本」の中にあること。

でもまずは 疑問に思わなければ
探すことも 見つけたいという欲求も沸き上がってこない

心が 動かないと何も始まらない

海を見て 「美しい」と感じる
風が「気持ちいい」と感じる
波を見て「ワクワク」を感じる
海で過ごす時間を「楽しい」と感じる

感性を磨くってそう言うことのように思う
目で見たものを美しい世界に捉えることができる心
人の言葉に感動できる心
感情を沢山揺り動かすこと

人と意見が違ってもいい
それが正しいのか 間違っているのかという
ジャッジではなく

それは 楽しいのか?楽しくないのか?
自分はどう感じているのか?
どうしたいのか?
心はどうしたがっているか?
どうしている時の自分が一番好きか?

心が動かされることで感性が磨かれることで生まれてくる

何故?

なんでそんなに心動かされるんだろうか?

この小さな疑問が 心の羅針盤となり
少しずつ舵をとり 進む道を見つけていく

答えを探す旅は永遠に続く

今見えること 感じる心で精一杯に生きみようと思う

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愛のあるモノトーンの世界

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自然の中での気づき

もう一つの出会いは  『本』
白い紙に黒い文字
モノトーンの世界なのにそれは温かく
心震わせ、涙が零れ、
神の存在を感じる瞬間がある。

それはその都度、その時に必要で
大切なメッセージを
届けてくれる。

神さまって? 人生って? 偶然って?
今まで考えていなかった事を、
海に行くたび浮かんでくる。
波を見ながら、
「あの波にどこかへ帰るんだろうか?」
流れついた海藻を見て
「どこにたどり着くかわからない」
自分と重ねてみたり

「なんで生まれてきたんやろ?」

そんな問いが膨らんでいた時に。
たまたま入った本屋さん

たまたま目にした一冊の本

『生き甲斐の創造 飯田史彦』
  生まれ変わりの科学


今でこそスピリチュアルや魂の話が
できるようになったが
その頃ではまだまだ話すら
理解されにくかった。

その本の中には、人が生まれ変わり、
沢山の前世を持ち
やり残した事をもう一度チャレンジするために
この世に生まれてくる。
沢山の実例や科学的研究の結果などが
書かれていた。

その中に苦労の多い人生を選んでくる魂は
元々、魂の成熟しているので
自ら困難な人生を選ぶ、チャレンジ旺盛な魂、
強い魂である。

みたいなことが書かれていた。

その文章を読んだ時、涙が止まらなかった。

「なら、しゃーない!自分で選らんだんやったら!」
と妙に、納得してしまった。

そこに、神を感じずにはいられなかった。
答えを導いて下さった。

偶然って?
本当は必然って言うけど、
本当に目には見えない世界がある。

シンクロは、神の導きなんだと
今ならハッキリとわかる。


そこから 『本』の世界へ
ドップリとはまっていく。
神、スピリチュアル、哲学、宗教、
そこに、答えがあるんじゃないかと思って


偶然 とても大切な偶然だったんだ。

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海にいた神

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神を感じたあの日

自然の中に存在する神を感じた時に

幼なき日の記憶が甦ってきた。

冒頭でもお伝えしたと思うのですが

神主の娘だったことを長い間、

私自身も忘れていた。

神様から、見捨てられたような世界

モノクロの世界にいた私は

自ら神を求めることを辞めていたんじゃないだろうかと思ってんだ。

海で過ごす時間を通じて少しずつ 

神との繋がりを思い出していく。

神社の境内が遊び場だったこと。

神社の床下に潜り混んで

真っ暗中1つの光を目指して

ほふく前進で進む

女の子のガキ大将で近所の子何人も

引き連れて遊んでた。

そんな中、1つの体験を思い出した。

今思えば、奇跡といっていい経験なのかも

しれない。



小学校一年生の初めての運動会

私はせっかちな性格で母はおっとりとした人で

運動会の日も待っても待っても来ない母を

迎えに行こうと空いたままの裏門から飛びでて

田んぼの畦道を走っていった。

道のりの半分あたりまできた頃

急に、オシッコがしたくなり

辺りをキョロキョロ 誰もいないな へへへ

田んぼの水路にかかった石でできた橋から水路へ

立ち上がりパンツを上げようとした時

不安定な石の橋から滑り落ちた。

 ザッブーン ブクブク

水の中で目を開けると周りには

草がユラユラと揺れていてとっても綺麗な水

次の瞬間 「ヤバい‼️」

手を上げると水面より手が数センチ下にあり

手が水面に出ない

「ヤバい‼️」

「このままじゃー死ぬー」



「助けてー‼️神さーん!!」って

心の中でめーいっぱいの声で叫んだ。 

その次の瞬間

私の手目掛け、大きな手がニョキッと出てきて

ガッシと捕まれ身体ごと引っ張りあげられた。

「ゴホゴホ ありがとうございます」

見上げるとその人は太陽を背にしていて逆光で

顔が見えない

「大丈夫?」と優しく声をかけてくれた。

その女の人の後ろにもう1人女の人がいた。

私は助かった喜びよりも

「いけーん。運動会の体操服、びしょびしょ

 じゃけー怒られる」ってまた田んぼの畦道を

走り出した。



「でも、おかしいなぁ。人いなかったから

 オシッコしたのに」



ふと立ち止まり、振り返ってみると

二人の姿はなかったんだ。

田んぼの真ん中に、ひとり 私1人

遠くに聞こえる運動会のザワザワした音…

その時気にも止めずに、もう頭の中は

どうしよう怒られる❗ってことだけで

のちに怒られたのか、遅刻したのか記憶には

ないんだけど。



切り取ったかのように、その記憶だけが

ハッキリと覚えている。



海で神を感じた日から少しして母に

確認したくなった

あの運動会の日のこと。

母に話したのは初めてだった。女の人に助けてもらったこと

びしょ濡れで帰ってきたからよく覚えてると

よくよく母と二人で話し記憶もすり合わせていく

田舎の村だったのでお転婆で有名だったらしく

神主の娘を知らない人はいないって

もし遠方から見に来た人がいても話にはなるから

母の耳には入ってくるはずと。

「あの後大丈夫だった?」と…。



大人になって考えた時に思うこと

もし、神さーん!って叫んでなかったら?

「助けて!お母さん!」だったらどうなってた?

逆光で見えなかったのは神さんやったから?

お礼して走り出した私を

大人になった私なら家まで送り届けるかも?

あんな振り向いてすぐいなくなることある?

もし神さんの導きによって人が助けてくれたにせよ、あんな奇跡的なタイミングってある?



改めて、                    神と言う存在を考えるようになっていった。



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ブルーの世界へ

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高校時代とは違い就職したら

少しの自由を手にしていた。

それでも家の事情は相変わらず

心晴れる日はなかった。



そんな中、サーフィンと出逢った。




あの家から飛びでて見た海のある世界。

車を走らせ到着した海岸

そこには見たことのない海が美しく広がっていた

視界めーいっぱいに広がる水平線

鮮やかなブルーが目の奥を刺激した。

水平線を挟んでウルトラマリンブルー(瑠璃紺)

とめどもなく続き途中、色が変わるブルー

波がアクアブルー(水あさぎ色)

波が崩れできた真っ白の白泡

波のうねりが影をつくりまた色変え連なっている

空はスカイブルー(み空色)白い雲が浮かび

太陽から降り注ぐ光の粒子が

黄金を撒いたかのように光の道ができていた。

そして耳から聞こえてくる

ザァッパーン ザ ザ ザァッパーン ザ ザ

心に被さってくるような波の音

鼻から一気に潮の香りが胸に優しく広がっていく



何もかもすべて、消え去っていくような気持ち

五感のすべてが過去も未来もなく

  「今、この一瞬」を感じていた。



いざ 海へ

ラムネのような水面がキラキラと輝やいていた。

サーフボードに腹這いなり乗り

手で波をかき波のタイミングをあわせ乗る

何度何度置いていかれたり乗れたりしていた。

楽しさがこみ上げてくる

少し沖からのチャレンジ

波に飲み込まれて洗濯機の中の洗濯物のように

地上では決してすることのないような格好で

ぐるんぐるん身体をまわされる

息ができない、今海の海底にいるのか

水面に向かっているのか、わからない。

「く る し い」

身体がもがき始める。

「早く、早く息が吸いたい」と

海面から顔が出て息を大きく肺に入れた途端

また次の波が私をぐるんぐるんと

投げ飛ばされる。

ようやく足が砂の感触を捉えた

「あー良かった。」と胸を撫で下ろすと同時に

人生初めての気づきがやってきた。



「あれー、私あんなにしにたかったじゃないの」

「逃げ出したかったじゃないの」





今、必死で生きようとした。

今、私、生に必死にしがみつき

自分の持っている力を最大限使い

今、生きたい、生きるって思ってた?

というよりも身体が生きるって決めてる。

私の脳で思考するより先に身体が勝手に決めた。



 生にしがみついた時

そこには神がいたように感じたんだ。



これが私のサーフィンとの出逢いでした。

ここから私の悟りのような波乗り道が

始まっていくことになった。

素晴らしいサーフィンへの扉とともに


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